池の中に一本の柱で支えられた小さなお堂があります。
その名も一柱寺(いっちゅうじ)。
元来は1049年に創建された仏教寺院、延祐寺のひとつの楼閣でした。
この寺院建立の由来は、李朝の第二代皇帝、李太宗(在位:1028~1054)が見た夢にあります。
李太宗はあるとき、観音様が蓮の上に座して手招きしている夢をみました。その夢を実現しようと、
この寺が建立されました。その際、僧侶が皇帝の長寿を祈願し、延祐寺と命名されたとのことです。
1105年には周囲に池が掘られて、回廊ができました。
延祐寺は陳朝時代の1249年に再建されます。その後も改変が繰り返され
、今日に至っています。
フランス植民地時代にはフランス極東学院によって修復もなされました。
しかし、1954年、インドシナ戦争でフランスは敗戦、
フランスがハノイを去る際に延祐寺を爆破していきました。
現在私たちが見ているものは、1955年、ベトナム人によって修復されたものだといいます。 (HPより)
その名も一柱寺(いっちゅうじ)。
元来は1049年に創建された仏教寺院、延祐寺のひとつの楼閣でした。
この寺院建立の由来は、李朝の第二代皇帝、李太宗(在位:1028~1054)が見た夢にあります。
李太宗はあるとき、観音様が蓮の上に座して手招きしている夢をみました。その夢を実現しようと、
この寺が建立されました。その際、僧侶が皇帝の長寿を祈願し、延祐寺と命名されたとのことです。
1105年には周囲に池が掘られて、回廊ができました。
延祐寺は陳朝時代の1249年に再建されます。その後も改変が繰り返され
、今日に至っています。
フランス植民地時代にはフランス極東学院によって修復もなされました。
しかし、1954年、インドシナ戦争でフランスは敗戦、
フランスがハノイを去る際に延祐寺を爆破していきました。
現在私たちが見ているものは、1955年、ベトナム人によって修復されたものだといいます。 (HPより)
ツアーだと時間がなくてゆっくり写真も撮れないですよね
1枚目の写真・・・柱が1本のところ・・・隠れてる(泣)
何回も撮りなおしたけど、次から次へと観光客が・・・
今撮ってるんだから そこどいてぇ~って言いたかったです(笑)
1枚目の写真・・・柱が1本のところ・・・隠れてる(泣)
何回も撮りなおしたけど、次から次へと観光客が・・・
今撮ってるんだから そこどいてぇ~って言いたかったです(笑)
この場所は前回記事にした「ホー・チ・ミン廟」から近いので
一緒に観光散策したら良いかもしれないです
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/takakocchi_916/33444092.html
一緒に観光散策したら良いかもしれないです
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